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今だからあのことについて話そう⑤~2度目の本丸へ、試練~

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西条支店での働きが評価された私は、当時では最年少課長として意気揚々と、新人時代を過ごした本店営業部へ舞い戻りました。

今で思えば、特別に能力が高かったわけではなく、周りの御膳立てやフォロー、運などが重なり、たまたま課長になれたのです。しかしその当時は絶頂期で、精神的な驕りもあり、そうした謙虚に自分を客観視できる視点が欠けていました。例えば後には銀行から出向に出されるわけですが、当時は出向された先輩方に対しても配慮が足りなかったように感じます。自分が体験して初めて人の気持ちが分かるのだと思います。

最年少課長として迎えられた私は実力も不足しており、2度目の本店営業部では失敗をして銀行に迷惑をかけました。そのたびに色々な方にフォローをしていただきました。また課長になり、責任も今までとは比べ物にならないくらい増しました。最盛期には10人の部下を抱え、自分自身上司として部下のフォローが十分できませんでした。優秀な部下によくフォローしてもらってなんとか努め上げたという感じです。当時一緒に仕事をした部下とは、独立した今も何の縁か、一緒に仕事をするなどお世話になっています。

赴任した当時は営業部隊20名うち、4名の課長(営業マネージャー)がいました。しかし半年ほど経過すると、課長に欠員がでて補充がなかったりで半分の2名になってしまいました。今まで部下が4人だったものが、いきなり10名の大所帯を任されることになったのです。半年ほどして2名の増員があり、元の4名体制に戻るわけですが、課長が2名の間は大きなプレッシャーがかかりました。

先程お話した通り大きな失敗もし、処分も受けました。債権管理の難しさを実感するとともに、上司との人間関係も今までのようにはうまくいかず、その面でも苦しみました。考えてみると、今までは上司がおおらかに接していてくれたのでしょう。課長になり責任が増すと、そういうわけにもいきません。

プライベートでも、仕事が忙しくなり、趣味の空手に通うことができなくなりました。

こうして2度目の営業部では2年半が経過し、新居浜支店に転勤になりました。今までの比較的順調な銀行生活と打って変わって、ここでの2年半はほろ苦いものになりました。今まで順調にきたために発生した驕りがここで表面化したかもしれません。しかし後になってみると、失敗したということは自分にとって大きな財産になっていると感じます。また同時に、色々な人間の集合体である組織とは難しいものだ、と意識を強くしたものでした。

ほろ苦い里帰りでしたが、日銀考査や金融庁検査を受検できるなど、貴重な経験を積ませていただきました。次の赴任地は太鼓台が有名な、住友の街、新居浜市です。

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