【はじめに】
この「はじめに」の文章を、2020年3月に書いています。「地方で中小企業診断士で食っていくと決めた備忘録」シリーズは①~⑩まで10本ありますが、この記事を書いたのは4年前になります。改めて自分自身読み返してみると、結構とんがったことを書いている印象です。この当時の自分の想いは、こうだったのでしょう。
脱サラ独立して早9年が経過しましたが、あの時独立開業を決断しておいて良かったというのが、現時点での正直な感想です。私が独立したときは、退職を決めて実務実習を受けているときに、東日本大震災が発生しました。「この先日本はどうなってしまうのだろう」と、不安に感じたことを強烈に覚えています。今(2020年3月時点)独立を検討している皆さんは、新型コロナウィルスの世界的流行が発生していますので、今後の経済や社会に対する不安が高まっている状況は、似ているかもしれません。
プロコンをしていると、思い通りにいかないことも苦しいこともあります。ただそれは、会社員生活(私の場合は元銀行員)でも同じです。違うのは、自分で事業をすると、責任が自分にすべて降りかかってくることです。仕事が取れなければ生活できません。その部分が過度に怖いのなら(私もそれなりに怖かったのですが、根拠のない期待感が恐怖感を上回っていました)起業向きでないのかもしれません。将来を完全に予測したり、リスクを完全に回避したりすることなど、無理です。この10本の記事の当時の私は、今の私より皆さんに近い存在です。今後の皆さんの活動に少しでも参考になると嬉しいです。
2020年3月 中小企業診断士 和田 健一 愛媛県松山市在住 【プロフィール】
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中小企業診断士(以下診断士)の資格を活用したプロのコンサルタント(以下プロコン)として、来月3月(2016年3月時点)で、5年が経過する。
この機会に、自分のプロコン生活5年間を振り返ってみたいと思うので、しばらくお付き合い願いたい。
私の前職は、このブログでも何度か触れているが、銀行員。17年間勤務した。銀行員生活の最後の2年間は、県関係の中小企業支援センターに出向していた。出向する前までは、漠然と、「銀行員として定年まで勤め上げるのだろうなぁ」、と思っていたので、人生とは分からないものだ。
出向先には、診断士の資格を活用して、プロコンとして生計を立てている人が何人かいた。厳密には、県の支援センターから委嘱を受け、中小企業の支援人材として勤務していた。それまで診断士について知ってはいたが(銀行内に企業内診断士が何名かいた)、資格活用のイメージが湧かなかった。銀行内で診断士の資格をうまく活用している人がおらず、私自身この資格に、あまりいいイメージを持っていなかったからだ。
難関資格をせっかく苦労して取得したのに、銀行組織内では評価されていないようにも見えた。
しかし、この支援センターに出向してからは、身近に資格を活用している人材に触れることができたため、「診断士って魅力的な資格だなぁ」という心境の変化が生じた。
勉強の過程は省略するが、仕事をしながら、その後1年半かけて何とか資格合格できた。出向期限が2年間だったので、ぎりぎり間に合った。というのも、勉強している中で、「自分で資格を活用して事業をしたい」、という気持ちが高まってきたからだ。
出向期限まで2か月を切ったとき、正式な合格通知を得ることができた。合格⇒独立開業、不合格⇒銀行に帰ってもう一度頑張る、と決めていたので、これで自分の気持ちは固まった。資格取得は、独立開業への免罪符だったのだ。
そして、当時の人事部長に、事情を説明し、辞表を提出した。「また困ったことがあればいつでも相談に来い。」と快く送り出していただき、感謝している。補足すると、その時の人事部長、実は入社時最初の直属の上司だったのだ。縁とは不思議なものだ。その2か月後に、独立開業し、事務所を立ち上げることになる。
前の勤務先と喧嘩別れせず円満退社することは、事業をしていくうえで、とても大切だと思う。またいつか力を借りたり、一緒に仕事したりすることがあるかもしれないからだ。退職した後は、滞りなくできるだけ多くの人に、在職中の御礼と感謝の手紙をだすこと。次が決まっていれば、さりげなく一言添えておくといいかもしれない。
【参考記事】
地方で中小企業診断士として食っていくと決めた5年間の備忘録②~スタートを切る~
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